8.ターゲット

 僕は金をコートのポケットにしまって、デリに行った。適当にその日売っているサンドウィッチを買って、カウンターでコーヒーを二つと、それから「MM」と言った。カウンター奥にはカラフルなサプリが仕方なさそうに置いてあるけれど、煙草の類は見つからなかった。
「あんた吸うのかい?」
「いや、ブルースが」
 店員のおばあちゃんに聞かれて、訂正した。
 すると思い出したかのように、あぁ、と納得したようだ。
「何かいやなことでもあったのかい」
「さぁ」
「どぎついやつだからね、これを買いにくるのなんか限られてるのよ」
「ふぅん」
「それに、今時となったらサプリだなんだで、煙草はめっきり売れないからね」
「おばあちゃんたまに呑んでるよね」
「年寄りの嗜好品なのさ。しわくちゃのね。あんたも変わりもんだけど、ブルールもああ見えて変わりもんさ。ま、真面目すぎるとこうやってガス抜きした方がいいんだろうけれど」
 おばあちゃんはかがんでカウンターから箱を出した。紙袋に煙草の箱を入れて、僕に渡した。金を渡してから、僕は戻る道中煙草のパッケージを取り出してみた。MM。その下にmortal melancholy と書かれ、目隠しをされた、灰色の翼を持った人が逆さ吊りにされている。彼の兄も、こんな具合だったのだろうか。僕はパッケージをしまって、事務所に戻った。遠くでパトカーのサイレンが騒がしい。まだメリアムがこの辺りで聞き込みをしているのだろうか。
「吸うか?」
 昼飯後に煙草をくわえたブルースは、僕に逆さ吊りの人間を指で叩いた。いらない、と答えた。煙草は吸わない。それよりも、彼のデスクに置いてあった小さな皿が、飾りではなく本当に灰皿であったことの方が大きな発見だった。
「煙が嫌だったら、窓開けといてくれ」
「平気だよ」
 そうか、とブルースは返事をして、煙を細々と吐き出した。いつもの気難しい顔の彼よりも、今の彼の方がよっぽど彼らしいようにも見えた。僕はソファに座って、ブルースが今朝読んだ新聞をローテーブルの上に広げた。
「煙草、いつから?」
 何気なく僕は聞いてみた。
「五、六年前か。高くてかなわん」
「そうだね」
 サプリメントは格安に変えるけれど、煙草を買うってなるととても高額だ。さっきおばあちゃんに金額を聞いて、僕もこれには驚いた。一日分のサプリの金額よりも高い。それもこれも、この国が定めた“方針”というやつなのだろう。

 話をしながら適当に新聞をめくっていたら、ワトール・コーポレーションが、紛争地域に出資をするという広告がでかでかと載っていた。僕がついこの間会ったバルヴォ会長が、あのときとはうってかわって穏やかそうな……サンタクロースを絵に描いたらこんな感じ、というような人相で、両脇に色の濃い子供たちを抱えている。
「読み終わったら、郵便局に行って荷物を受け取ってくれ」
「うん」
 何かを読んでいるつもりではなかったから、僕は新聞を畳んで、腰を上げた。コートのポケットに両手を突っ込んで、部屋を出ようとした。そのとき、煙草を灰皿に押し付けている彼に横目で視線をやった。
「あのさ、ブルース」
「どうした」
「……もし僕が、殺し屋だとしたら、君はどうする?」
 ブルースはまばたきをしてから、ふふっと笑った。ちょっと視線を上にやって、何かを想像していたみたいだけれど、すぐに呆れ混じりに手をひらひらさせた。
「好きにしろよ。俺はあくまで弁護士で、逮捕をするのは、警察だろ」
「それもそうか」
「くだらないこと言ってないで、行ってこい」
「うん、いってくる」
 僕はうっすら微笑んで、郵便局へのおつかいに出かけた。郵便局の途中、僕のつま先に青のボトルが転がり込んできた。三メートル先の角に人の気配、あっちから投げてきたのか。僕はブーツの先でそれを道の端に追いやったものの、仕方なくそれを拾い上げた。紙が入っている。きっと、僕に橋渡しをしてくる情報屋かなんかだろう。中身だけ抜き取って、僕はボトルをゴミ箱に投げ入れた。

「夫は死ぬべきなのです」
 カーラという女性はぶつぶつと呪文のように繰り返した。彼女の白髪交じりの頭頂部を僕は見下ろしていた。彼女は椅子に腰掛けて俯いていたから、立っている僕の視界にはそれしか視界に入らなかった。
「このままでは、子どもまで危険なのです。かわいい私の息子」
 彼女の膝には聖書が置かれていた。色褪せた赤いカバーがかかっていて、それを骨ばった指先で撫でている。手の甲は痣だらけで、それは手だけでなく身体中にあるんだろう。
 カーラは青白い顔を上げて、僕をすがるように見つめた。青白くて、シワのない顔。でも、両目は充血していて、その赤色が余計に浮いて見えた。
「罰が与えられるべきなのです。貴方が私の元にやってきてくださったのも、神の思し召しでしょう」
 彼女は喪服のようなドレスを身にまとっていた。袖のあたりはぼろぼろで、糸が伸びていた。僕は何も言わなかった。言いたければ言っていればいい。僕は神の使いでもなんでもない、殺し屋は殺し屋だ。僕を呼んだのは神でもなんでもない、ただの依頼の紙切れだ。

 彼女の家は古いけど、広かった。白い壁はくすんでいて、埃っぽいところもあった。玄関には家族の写真が置いてあったけれど、どれも黄ばんでいた。カーラはぽつぽつと呪文を繰り返した。それは、自分がいかに正当な理由でもって殺しを依頼しているのか、という独白であった。僕はほとんど聞き流していた。ラジオの電波に、どこかの知らない人が悩みをうちあけているようなものだ。
「夫は、結婚して子どもが生まれたころはまだ優しかったのです。育児にも積極的で、仕事もうまくいっていました。けれど、一度仕事に失敗してからは、酒に溺れ、人に強く当たるようになりました。……だんだん、暴力も。子どもも年頃になって、口論もします、でもその度に夫は容赦なく暴力を振るのです。
 警察も、家庭の問題には入ってきませんから、いくら、私たちが訴えても夫を刑務所には送れないのです。その辺にいる人を少し殴っても捕まるというのに、家族を殴っても、夫は捕まらないのです」
 だから自分たちが殺される前に、相手を殺す。それだけ。本当はとてもシンプルな理由。
「報酬は?」
 僕は話をやや遮るようにして聞いた。
「彼の死亡保険の半分と同じ金額をさしあげます。なんだったら、お好きなだけ持っていってください」
「いい。現金しか受け取らないんだ。半分にしてくれ」
 カーラは目に涙を浮かべた。
「ありがとうございます」
「今日?」
「はい。なるべく早くに……どうぞ、よろしくお願いします」
 依頼人は深々と頭を下げた。僕は前払いで、カーラの夫の死亡保険金の半分の金額を受け取った。カーラは小さいけれども、はっきりとして言葉で言った。
「できるだけ、痛みを与えてください」
 僕は頷いただけにしておいた。どのくらいが“痛いのか”なんて、僕には判断ができない。

 ターゲットの顔写真を玄関で一度確認しておいて、僕はなんでもないような家を後にした。カーラの夫は、夕方仕事が終わるみたいだ。一度自分の家に戻ってから、僕はその仕事場から後をつけた。五階建てのオフィスビルから出てきた男は、背中が丸まっていて、写真よりもずいぶん老けているようにも見えた。ビルの陰で様子を見ていると、男は自宅とは逆方向の道を歩き始めた。どこかに行くみたいだ。僕は一定の距離を保って後をついていく。
 ターゲットは軒先に店を開いている花屋に立ち寄っていた。僕は向かいの食料品店で缶詰の棚を見ていた。男は店員に花の入ったバケツを指差して、何かを指示した。僕は食料品店を出て、花屋の近くを通りかかる振りをした。会話が聞こえてくる。
「誰かに贈り物ですか?」
 店員が明るく聞くと、男は言った。
「妻にと思って。ようやく傾きかけていた仕事がまた軌道に乗りまして。いつも当たってばかりで申し訳なかったから……」
「素敵ですね」
 そんなやりとりをしてから、花束を受け取る。僕は先回りして、カーラの家を行くときに通る道の近くに待機していた。僕は目を閉じて、あたりの気配に集中した。今の所、人はいなさそうだ。そろそろターゲットがくる。こつこつ、と革靴の音が響いて、僕は通りの陰から手を伸ばした。

 花束ががさりと音を立てて落ちた。

 仕事は終わった。ターゲットは僕に、いろいろなことを話した。会話の節々には、家族が、とか、そういった言葉が聞こえた。でも、肝心の家族は、誰も男の帰りを望んでいなかった。僕にわかったのはそれだけのことだった。依頼人はできる限りの痛みを言ったけれども、それがどのくらいの痛みになったのかまでは、僕にはわからない。
 今回はやけに労力を使った。家に帰ろうとして、そういえば、今日はお花ちゃんの家に行かなくちゃいけないことを思い出して、そのまま彼女の家に向かった。家の明かりも、変わらずついていて、僕がインターフォンを押すと、すぐに迎えに来た。僕を見上げてぱっと顔を明るくさせるけれど、すぐにしかめ面をした。
「あなた、仕事をしてきたの?」
「そうだけど」
 それがどうかしたのかという意味を込めて聞き返すと、彼女は鼻を押さえた。
「すっごく臭うわ。シャワー室貸してあげるから、流してきて」
「なら、帰るよ」
「だめ、もう夕飯作っちゃったんだから」
 早くして、と急かされて僕はシャワールームに閉じ込められた。仕方がないから、汚れた服を脱いだ。脱衣所に置き去りにする前に、ジャケットの臭いを嗅いでみた。確かに、ちょっとドブ臭いかもしれない。わざわざ川に入ることなんか、しないほうがよかったか。僕はすぐに蛇口から出てくるお湯をありがたく思いながら、自分に染み付いた臭いもできるだけ流すように努めた。石鹸も借りようとしたら、すごく甘ったるいような感じがした。仕方なくそれを使う。
「デイヴィッド、タオルと着替え置いておくからね」
 扉越しに声がする。
「うん」
「シャツは捨ててもいい? かなり汚れてるわ」
「いいよ」
「はい。じゃあごゆっくり」
 彼女は鼻歌交じりで去っていく。ゆっくりだなんて言われてもな。そろそろ出るつもりだったんだけど。僕は綺麗にたたんで置いてあったタオルを頭の上に乗せて、着替えに手を掴んだ。ちょっと緩いけれど、サイズ自体は合ってる。まさか彼女のでもないだろう。
 彼女はキッチンに立っていて、僕が出てくると振り返ってにこりと笑った。
「よかった、着られて。ちょっと大きい?」
「平気」
 僕は席に着いた。今日はなんだろう。キッチンの下のほうから彼女はオーブンの戸を開けた。ほどよく焦げたチーズの匂い。
「今日はね、グラタンを作ってみたの。寒かったでしょう?」
「そうだね」
 サラダとグラタンが並ぶ。お花ちゃんが食べましょうか、と言ったので、僕も食べ始める。
「その服ね、買ったの。あなたが着るかもしれないと思って」
「僕が?」
「うん。少し大きそうだけど。あなた、もう少し食べたほうがいいんじゃないのかしら」
「そうかな」
 確かに、用意された淡いブルーのシャツはところどころ大きくて余る。裾はちょうどのようだけど。でも、着られればなんだって良い。
「ジャケット、洗えるみたいだったから洗濯しておいたから。乾くまでうちに居てね」
「いつまで?」
「いつまでかしら? 朝かもしれないし、ずっと乾かないかも」
 お花ちゃんはくすっと笑った。ずっと雨が降っていたら、そうなるのかもしれない。でも、そんなことはないだろうから、僕は瞬きを何度かしただけだった。
「あたしのこと、変なやつだって思わなかった?」
「どうして?」
「人を殺してきた人とこうして楽しく食事をしようとしてる」
 温かいグラタンを、ふーっと冷ましながらお花ちゃんはそう言って、一口食べた。僕はまた答えがわからない。彼女の言っていることはその通りかもしれないし、何より、自分のことをこれから殺そうとしている人間に食事を出すのもきっとおかしなことだ。
「でもね、きっとそれがあたしの生徒だとか、友達だったら、きっとあなたのことをとても責めるんだと思う。あなたのことを憎んだり、恨んだりするんだと思う。とても身勝手」
「そうなの?」
「そう、みんな自分勝手。どこかのニュースのことなんか、あたしたちにとっては遠い遠い話で、それは小説やドラマとそんなに変わらない。この街の人間てそうよ。あたしたちは他人が踏み潰されていようとも平気でその上に登ってでも生きようとしている」
 僕はまた、あの寒い中倒れていた老人を思い出した。その横を平然と歩いていく、てかてかした顔の人の群れ。いつの間にか消えていったけれど、誰も覚えてなんかいない。お花ちゃんはあの通りを通ったのだろうか? あのおじいさんのことを、知っているだろうか? 僕は尋ねてみたかったけれど、通りのことやおじいさんのことを上手く言葉にできないと思ってやめた。
「でも」
 と、僕は答える。
「君はそうだと、知っている」
 きっと、彼女にも見えるのだろう。自分の足元に転がっていたものが何か。

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