5.ワトール

 煌々と白く照らされた地下室は、むしろ地上よりも明るい。狭くて長い廊下の先にある、ガラス扉の前にはグレーのスーツを着た男が立っていた。てかてかした顔の、真っ黒の髪の男。年がいくつなのかはわからない。僕より上なのかもしれないけれど、サプリでたっぷり塗り固められた顔は年齢なんてものはないといった感じだ。男はにこりと笑みを浮かべてこう言った。
「ようこそ、ミスターコールドマン」
 男は両手を広げた。
「会長が君を待っている。案内しよう」
 大きなガラス扉が自動で開いて、僕は男の後に続いた。扉の先も、一本通路になっていて、左右にはいくつも数字が割り振られた扉がくっついている。その扉にも小窓があって、向こう側には白衣を着た人たちが台の上でせかしく手を動かしている。
「うちの会社のことは知っているかね?」
 目の前の男が言った。ここは物音がよく響く。僕たちの歩く音も、声も反響してぼんやりとする。
「てかてかした顔」
「なるほど」
 彼は笑った。声を上げて笑った。
「アンチエイジング・サプリとはそういうものだ。シワがない、ということだからね」
 僕はふぅん、と小窓に視線をやった。ここにいる人たちは、みんな同じに見える。みんな同じ顔だ。
「見たところ、君は我が社の製品には興味がないようだ」
 僕は薬局にも、病院にも行った記憶がないから、この会社の客としては無縁だ。でも、どこにでも宣伝というものがあるから、僕が客でなくとも名前くらいは知っている。とりあえずそのくらいは大きい企業だ。

 男は通路の一番奥の扉の前で立ち止まった。表面は革張りだけれど、きっとその下は重厚に作られていそうな扉だ。壁に電気のスイッチみたいな機械が取り付けてあって、男はそのスイッチのカバーを外すと、かがんで自分の目を照合させた。ピピっと音がしてから、施錠が外れる。
 男は振り返って、僕に入るよう促した。
 入った瞬間、また何か音楽が聞こえた。高音の、とてつもなく伸びる、震えた女の歌声。それから、肌に触れる、生ぬるい空気。
 部屋はさっきまでのガラスや白い雰囲気とは打って変わって、木のテーブルやキルティングの布が壁に飾られている。会社というよりは人の家。机に向かって男が書物をしている。男の後ろの壁は全て本やファイルで埋め尽くされているが、部屋の隅には小さなキッチンのようなものまで備わっている。この部屋の奥にもさらに部屋があるようで、木の扉があった。
 仕事用の重々しいデスクというよりは、子供の勉強机のような真四角の机の前に腰掛けていた人物が、男と僕を見上げる。真っ白の髭の割に、顔にはシワもなくて、まるで作り物を顔に貼り付けているみたいだ。男は目元を細めた。微笑みを見せたのだと、ややあってから気づいた。
 笑みを向けてきたけれど、その目は笑っていない。
「いらっしゃい、コールドマン。私が君の依頼人だ。まぁ、おかけ」
「どうも」
 後ろにあった赤いソファを示されて、僕はそのまま腰を落とした。天井近くにまでたくさんの写真が掛けられている。戸棚の上には、金色のエンブレムがはめ込まれたものがたくさん並んでいる。あるいは、豪華な紙に書かれたなにか。この老人の若い頃の威光を残したもの、あとはいわゆる家族写真と思われるものもあった。僕を案内した男は、部屋の奥にあった棚から食器を出し始めた。
「君のように若い子が今最も売れっ子の殺し屋だなんてね」
 依頼人、バルヴォ・ワトールはにやにやと笑った。ポッド、正しくはスイート・ポッドなる安らかで永い睡眠を約束した甘い棺桶を作り、てかてか顔のアンチエイジング・サプリを作り出す会社の中で、一番えらい人物。
 若い子だろうが女だろうがおじいさんだろうがおばあさんだろうが、殺し屋は殺し屋なので、僕は返答に困る。
「ジェンキンスを殺したのも君だろう」
 過去の依頼のことは一切話さないのが僕のルールなので、これも黙る。
「依頼人は彼の政敵か?」
 違うけれど黙っておく。あのときの依頼人はあの男が最も信頼していた秘書官だ。汚職事件の責任を秘書官になすりつけたために、依頼人は家族を失い、メディアから散々叩かれた。ワトール会長が予想しているような、政治家たちの泥臭い争いなんかじゃなく、個人的な恨みだ。
 だいたい僕の受ける仕事の依頼なんてそうだ。別に殺す理由なんて、僕に話す必要なんかないのに、彼らは語りたがる。ターゲットがいかに極悪非道な人間で、彼らには死の裁きが下ることが当然であると連ねる。僕はそれがどこまで本当かなんて信じちゃいないけれど、彼らはそうやって僕に依頼することを正しいことと思い込みたいようだ。
「どうやって殺した? 聞けば抵抗した跡もなかったようじゃないか。だから警察も、犯人はジェンキンスが知っている人間で、彼が油断していたと踏んでいる」
 これもまた黙秘。早く依頼の話をしてくれないだろうか。僕は部屋の方に視線をやった。写真をもう一度眺める。会長は年を取って居るはずなのに、顔自体はある時点から変わらなくなっている。僕はもう驚くことはしない。ここの人たちは、そういうものなのだ。
 さて、あの政治家の依頼人というのは、できるだけ静かにということを言われていたからそのようにした。あの政治家は、メインストリートから近くのレストランで食事をしていた。一人になったときを狙えと言われていたから、そのときを狙った。

 しばらく僕と会長は黙りこくっていた。後ろで男が飲み物を用意しているのと、流れる高音の歌が部屋を占拠する。この声は眠たくなる。後ろの男は銃を持っている。僕が会長の意にそぐわない動きをしたら、即座に銃口を僕に向けるだろう。僕は座ったまま、会長の目を見た。てかてかした顔の中に、僕はある違和感があることに気がついた。だけど、その観察を終える前に彼が口を開いた。
「……よろしい、合格だ」
 ワトール会長は満足げに頷いた。何も言わないで合格っていうのも拍子抜けだけど、合格ならいいや。
「君の同業者の中には、自分の仕事をさもプライドの高いものだと思っている人間もいてね、すぐに仕事の実績を喋りたがる者もいる。君はその点では合格だ。コーヒーは飲むかね?」
 男がすでにコーヒーを淹れていて、会長の前にカップを置いた。僕は小さく頷くと、カップを差し出された。デリで飲むものよりも濃い味がした。
「毒を疑ったりはしないのかね? うちは薬品も扱っているのだが?」
「依頼は?」
 まだ熱いから口をすぼめてちびちびと啜る。依頼じゃないならさっさと帰ろう。苦いけれど、薬品の味はしない。グルメじゃないけれどそのくらいはわかる。ワトール会長は肩をすくめた。
「大変よろしい。最後に確認だ。君には流儀はあるか? 例えば、ナイフで殺す、ターゲットの所持品のみで殺す、そういったやり口のようなものは」
「ない」
 即答する。流儀も作法もない。殺しはテーブルマナーでもなんでもない。取り決めもない。ただ殺せばいい。依頼人が希望すればその通りにするけど。
「よし、合格だ。正式に依頼をしよう、コールドマン」
 やっとか。僕はソファにより深くもたれかかる。男が僕に写真立てを渡した。中に入っていたのは、女の写真だった。長い金髪をゆるく束ねていて、肩を出した真っ青のワンピースを着ている。両手には黄色の花束を抱えていて、何がそんなに面白いのか大きく口を開けて笑っている。写真は古くて、彼女の顔はこの街に見る女とは違って、珍しくてかてかしていなかった。
「マリー・ワトール、私の娘……の、クローンだ」
「へぇ」
 クローンなんて、人間の形をしたものもいるのか。僕が知っているのはせいぜい羊のやつだ。
「ここは国の研究施設でもある」
「会社なのに」
「ワトール・コーポレーションは地上一階から四十階までだ。地下は国に提供している。そして、国は今、ここで細胞の研究からクローンの実装に成功した。私の娘は最初の一人だ」
 僕がまじまじと写真の女を眺めていると、会長は話を続けた。
「国は人口減少や戦時の兵不足を懸念して人間のクローンを作った。オリジナルの娘は三十年前に自殺した。私は最初に作るクローンをマリーにすることを条件に、クローンを作った。もう一度娘を赤ん坊から育てた。それが二十二年前のことだ」
 依頼人の、依頼の正当化。僕は片耳で聞く。
「君、なぜ我が社がポッドなどという新たな墓を作ったか、わかるか?」
 僕は首をひねる。すると会長は自慢げに、一方で少し嫌気がさしたような顔を浮かべた。
「健全な精神と健全な身体は健全な国家のために」
 会長はそう言ってから、息を吐き出した。
「四十年前、国が打ち出した方針だ。あらゆる重要な病は薬によって駆逐され、この国が必要としたのは、薬品によって屈強な精神と肉体を持った、国に身を捧げることも、そうとは知らずに実行できる人間たちだ。我々は、いや、私はそのプロジェクトに参加した。サプリメントは人間を効率的に健康にしてくれる。だが一方で、国に貢献することもなくただただ命を消費しているだけの存在もあった」
「道端で凍死しているホームレスとか?」
 黙っていようと思ったけれど、僕は思わず聞いた。彼はふっと嘲笑を浮かべた。
「それが自分と同じ人間であると見えている人間が、この街にどれだけいるか知らんがね。君が言っている男が六十代程度の男、つまり、明らかに老けていてアンチエイジング・サプリを飲んでいない男だとしたら、確かに私が示した後者だが、かつては前者だった存在だ。そもそも、我々が恐れ知らずの人間を欲したのは、それだけの人間が必要だったのだ。君は当時の戦争のことなど知らないだろう?」
 僕は頷いたけれども、少し話が難しいと感じた。視線を落として、自分の履いている靴に視線を落とした。つま先のところが少し剥げているな、と思った。
「いくら大量の兵器を作っても、使う人間がいなければ意味がなかった。元は兵士のために作ったサプリだ。戦場においても壊れない体を作るための。そして、君が見ただろう凍死した男は、戦場で武器を使い、人を殺し、そして自らも怪我をして退いた。それからポッドに入ることもなく、そうしてただ命を消費しているだけの存在になりさがったのだ」
 彼は大きくため息をついて、椅子に深く座り直した。
「我々は戦争にも勝利し、ポッドとサプリメントで人々を信仰させることができた。それでも我々には資源そのものが足りなかった。そこで政府は、代替可能な存在として、クローン製造の計画をたてた。責任者は私で、条件を出した。最初のクローンは娘であること。研究はうまく進んだ。だが、時代は変わってしまった。人間のクローンは非人道的であると決定した政府は、一切の研究を打ち止めにすることを言い渡した。処分が必要だ。しかも彼女は三十年前に死んだことになっている。ポッドには入れられない」
 最後に一気に吐き出すように彼は言った。
 だから、彼女を殺してほしい。ワトール会長の依頼は、そういうことだ。
 僕は賛成も反対もしない。
「報酬は前払い」
 値段は言い値でと告げてきたのは向こうからだ。数ヶ月分は余裕で暮らせる金額を提示したが、こんなのここの従業員の給料の数倍程度にすぎない。いや、もしかしたら、ここのほうが高いかもしれない。金額を聞いて会長も眉を上げた。
「そんなに少なくていいのか?」
「たくさん持って帰るのも大変だから」
「銀行は」
「ないよ」
「すぐに用意させよう」
 案内係の男に目配せをすると、男は会釈をして出て行った。
「期間は二週間。場所は彼女の自宅で。方法は問わない。接触も構わん。もしこちらからの要求が増えればこちらから連絡する。最初に依頼したのと同じ方法を用いるし、その際に追加の報酬も与える。必要な情報は……」
 男がまた入ってきて、札束の入った革のカバンと薄っぺらいファイルを渡した。開くと、彼の娘らしき人の情報がいろいろと書かれていた。僕はそれを閉じて、革のカバンに一緒に入れた。
「頼んだよ。コールドマン」
 会長はにんまりと笑った。僕は笑っていない目を見つめ返して、部屋を出ていった。エントランスに出ると、受付のロボットがきぃと音を立ててお辞儀をした。

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