4.コールドマン

 でも、エヴァンの店は気に入っている。ブルースの事務所とは真逆の、人間にあふれた場所だけど、僕はここにいると、この世界の問題や悩みなんてちっぽけなものが積み上がって出来ているのだと教えてもらえるからだ。

 ブルースは多分、あの年を取らないサプリは飲んでいない。飲んでいたら、もっとあの眉間に皺の寄った顔も、柔らかい感じになっているだろうし、隈だって薄いだろうから。でも客の大抵は、そう、てかてかした顔。
 ここにいるのは、酒で赤くなった顔と、ばさばさの髪をふりみだして笑う声と、黄色くなった歯。僕はその客の顔を見渡してから、エヴァンの方を向いた。
「今日、メインストリートに警官がいたんだ」
 僕は、何を話そうか迷ったけれども、少しして今日のことを思い出した。
「あぁ、俺も見たよ、それ。なんか、政治家が殺されたとかで。事情聴取でも受けた?」
「名前を聞かれた。それで、僕、聞いたんだ」
「事件のこと?」
「いや、この前、ストリートで死んでいたホームレスのこと。政治家のことは一生懸命調べているけど、彼のことは調べないのかなって」
「そりゃね、あいつらにも優先事項だってあるだろうし」
 エヴァンはカウンターの下から煙草を出して吸い始めた。長くて邪魔そうな髪をかき揚げて、下を向いた。赤みのかかった茶色の髪だ。
「話したっけ? この店開いたときのこと」
「うん」
「一緒に店を開いたあの人は事故で死んだよ。でも、警察はただの事故だからって言って、一日で調査を終わらせて、帰った」
「事故じゃなかったの?」
「半分イエス、半分ノー」
「命は平等じゃないね」
「いや、平等だよ」
 小さな天国の神様は呟いた。開いた唇から煙が細く上がった。僕は彼の言葉に少し驚いたし、その続きが気になった。黙って続きを待った。
「命そのものは平等さ、でも、その付属品が価値を曇らせる。政治家は政治家だから、死んだらニュースになる。ホームレスはホームレスだから、凍死してもあんまり注目されない。全部ステイタスだ。だから俺がバラバラに殺されたとしても、三面記事の片隅で終わっちまう。大統領がそうなったらさ、もうビッグニュースだよ、世界の終わりみたいに語られるさ。でもさ、考えてもみてよ、そいつらの身ぐるみ全部剥がして真っ裸にして道に投げ出して、子供たちに“誰が一番偉いと思う?”って聞いたらさ、きっとげらげら笑っておしまいさ。みんなママの腹を借りて生まれてきた。それ自体はみんな一緒さ。命そのものは平等、俺はそう思ってる」
 エヴァンはこの上なく穏やかな顔で微笑んだ。僕は、そっか、と頷いた。
 もし、この世の偉い誰かが裸で道に放られて、子供たちがそれを指差して笑っていたのなら、僕もそんな場面に立ち会ってみたいものだ。
「ありがとう、いい話が聞けたよ」
 この気分を抱えたまま、僕は帰りたかった。ポケットから小銭を出す。
「どういたしまして。また来てよ」
 エヴァンは投げキスをしてみせた。

 店を出ると、きんと張り詰めた寒さが僕を襲った。そろそろダウンジャケットを買わないと、僕も凍えてしまいそうだ。両手で自分の体を抱きしめて、どこかから聞こえる喧騒を聞きながら歩く。
 歓楽街の通りを突っ切って、適当に乱立したせいで複雑な作りになってしまった小路をくねくねと曲がる。小さな店はもう錆びたシャッターを下ろしている。黒い煙を上げている真四角の箱みたいな工場の煙突が、ぼうっとあかりに照らし出されて、遠くからも見える。そこで働いている労働者や、その日暮らしの男たちがほとんどを占めているスラム、僕の小さな城はそのうちの一角にある。強風が起きたら、ぱたんと潰れてしまいそうな二階建てのアパートだ。今でも隙間風がひどい。
 アパートの手前のゴミ捨て場で、僕は左から二番目のカンとビンを捨てるゴミ箱を覗き込んだ。青色のビンが底に転がっていて、中には一枚の紙が丸まって入っている。拾い上げて、紙を取り出した瞬間、僕は横に転がった。ゴミ箱が音を立てて倒れた。振り返ると、ゴミ箱を倒して男が立っていた。
「お前、コールドマンだな?」
 ゴミ箱を倒した相手は、黒いフードを目深にかぶっていた。片手にはナイフ、腰には拳銃の一丁でもあるだろう。僕は小首を傾げる。
「あの件、警察が捜査を広げやがったっていうんで、あの人からお前を始末しろと言われた」
「過去の依頼を引きずりたくはないんだけど」
 あのなんとかっていう、政治家のことだろう。なんだか今日はそいつのことばかりで気が滅入る。同じことを何度も何度も話題に出されては、僕だって嫌になる。それに、寒いから早く家に入りたいのに。
「帰ったほうがいいよ。あんたもいつか死ぬ」
「その前に、お前がな!」
 来た依頼は拒まない。仕事に流儀を立てるなんて、気障ったらしくて好きじゃないけど、これは食べていくためには必要なことだ。でも、その依頼主が面倒なこともある。怖気付いて、僕のことも消そうとするやつとか。大抵の理由は、僕が依頼主のことをよそにリークしないかという不安らしいが、別にそんなことをしても何の役にも立たない。ブルースは言う、「クライアントとの間で最も重要なのは、信頼関係だ」。概ね僕も賛成だ。
 さて、目の前にいる男は僕にあからさまな殺気を立てて、ナイフを向けた。僕はボトルから紙を取り出して、内容を見た。別の依頼が来ていた。ナイフを振り下ろす瞬間に、僕はさっと脇によけて、足を払った。よろめいた背中を蹴って、腰のホルスターから銃を抜こうとしていたのを止めるように、空になったボトルを男の頭に叩きつけた。がしゃんと音がして、がっくりと男は気絶した。

 仕事の時以外に殺しはしない。無益だから。無益なことを行えばその時点で損になる。誰が言ったか忘れたが、これにも概ね賛成だ。呻き声を上げた男をそのままにして、僕はようやく自宅に戻れることにほっとした。
 僕の城は物が少ない。何度か引越しをしなくてはいけなかったせいだ。ここに来たのも、ようやく一月経ったくらいだ。硬いベッドに、ストーブが備え付けなのが魅力的で借りた。大家は腰の曲がったおじいちゃんで、このスラム一体のこともよく知っているように語る。ろくにつかない電球を灯すと、ひそひそ話しているみたいに電気がついた。一つだけある椅子に深く腰掛けた。
 僕が最初に依頼を請けたのが、こんなやり方だったからか、後から情報を仕入れた人間が模倣してこんな風に依頼してくる。青いボトルに依頼の概要を入れたり、たまに小切手が入っていることもある。中には情報を商品としている人もいるから、人知れず伝わっていても不思議でもない。
 今回の依頼主からは丁寧な手紙が付いていた。

『親愛なるコールドマン
 あなたの活躍には日々驚かされております。今日は、わたくしどもがあなたに敬意を持って、仕事を依頼したいと思っております。ぜひ一度お会いしませんか。報酬はそちらの言い値で対応します。場所は……』
 思わずしかめ面をした。僕は一度も自分からコールドマンと名乗った覚えはないし、この依頼主に“親愛なる”人間になったつもりもなく、なんだか馴れ馴れしいなと思った。嫌にへりくだっていて、興味めいたいたずらなのかなとも思ったのだけど、来る者拒まずをルールにしている以上、これが本当の依頼でなかったとしても行かなくちゃならない。
 僕はストーブの中に手紙を投げ入れて燃料にした。場所さえわかれば問題ない。電気を消して、ベッドに潜った。ブルースの事務所のソファの方がずっと柔らかい。エヴァンが話してくれたことを抱えて眠りにつきたかったのに、無駄な動きをしてしまったせいでやっぱり損した気分。とにかく瞼を閉じて、夜が明けていくのを待った。

 翌日、指定された通りに、僕は依頼主の元を訪ねた。この灰色の街の真ん中にある、浮かび上がった真四角のタワー。入っていく人たちはぴしっとしたスーツを羽織って、まっすぐに背を伸ばして建物に吸い込まれていく。建物にはモニターがはめこまれていて、終始映像が流れている。どれもコマーシャルだ。映画でも流せばいいのにと思う。
 僕は建物を見上げる。僕の隣を、怪訝そうな顔をしてスーツたちが通り過ぎていく。僕は自分の服装をちらっと見た。少し薄いジャケット。彼らとは同士にはなれなさそうだ。
 ワトール・コーポレーション。モニターの映像からは、そんな言葉が浮かび上がる。
 若い女がカラフルなカプセルを飲み込む。ファッションの一部として、今日はどんな色のカプセルを持って行こうか、なんて。ジャンクフードの代わりに、カラフルで綺麗になれるカプセルを。ポップな曲と共に。彼らは老いることのない、てかてかした顔を互いに評価し合う。それから、自分たちの趣味にぴったりなカラフルな棺桶を買う。若くて病気もない彼らは、その棺桶をポッドと呼んで、最期はポッドに入って今度は夢の世界へ旅立つだとかなんだとか。
 一旦映像が終わったから、僕は建物の中に入った。外見と同じ、真っ白な室内。
 ここは、身体にかかわることならなんでもやっているような場所。薬品を作ったりもするし、義体を開発したり、体にいい人工食品とか作ったりしているみたいだ。それに、永遠の夢を見るために入るポッドも。
 エントランスにも大きなスクリーンがあった。その手前には受付の女の人が座っていた。僕は近づいて、その人に話しかけようとしたら、先に丁寧なお辞儀をされた。
「いらっしゃいませ、お名前を」
 僕はじっとその人の目を見ていた。そこで気が付いた。これはロボットだ。口元や関節部分によくわからないけれど、機材っぽいものが埋め込まれていて、話した瞬間にかすかだけどキシキシと機械音がする。つるつるした顔も、皮膚じゃないからだ。
「コールドマン」
 僕はしぶしぶ、向こうが「親愛なる」などと言ってきた名前を伝えた。
 僕が言うと、目の前のロボットの瞳孔が大きくなって、色が青色からオレンジに変わった。
 なんのサインだろうかと待っていると、
「二番エレベーターから地下二階へどうぞ」
 と、案内された。スクリーンの奥にはエレベーターが何基もあって、スーツを着た人間や、あるいは白衣姿が乗り降りをしている。僕は言われた通り、二番目のエレベーターに向かう。すれ違った人たちが、僕を奇妙なものを見る視線を投げつけてきた。僕は、彼らにとって、添加物がいっぱいで不健康なジャンクフードみたいな存在なのだろう。開いたままのエレベーターに乗り込むと、扉が閉まって勝手に動き出した。
 今まで個人が僕に依頼することはあったけれど、会社にまでお呼ばれされるなんて思わなかったなぁと、特に深く考えずに壁に寄りかかって突っ立っていた。ボタンはたくさんついていて、ぎゅうぎゅうに乗り込んだら、行きたい場所にたどり着くのにうんと時間がかかってしまいそうだ。エレベーターはぐんぐんと奥へ降りていく。やけに青白い光が箱の中を照らしていて、かすかに音楽が聞こえる。バイオリンだろうか。ようやくたどり着いて、扉が開いた。

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