3.メイド・イン・ヘブン

 メインストリートの向こうには、まだパトカーが止まっていて、メリアムたちがあちこちに聞き込みをしていた。その反対方向を歩いて、褪せたオレンジの看板のデリに入った。新聞と雑誌が壁に立てかけられていて、棚にはスナック菓子とボトルに入ったジュースや水、それとこのデリオリジナルのクッキーやランチボックスなども置いてある。ここの店長であるおばあちゃんが、カウンター奥に釣り下がっているテレビに体を向けていた。そのすぐ隣の戸棚には、サプリメントがどっさり入った瓶の列ができている。
 僕が入ってきて、同じようにテレビに目を向けると、「物騒ね」とぼやいた。僕はそうだね、と相槌を打った。ずっとニュースが流れている。生きていたときの男が、ワゴンから顔を出して周囲に手を振っている。彼を応援する声があって、映像が切り替わると、今度は誰かと固く握手をしている。そして今度はレストランの映像。夜の背景に、小さなランプが看板を照らしているはずなのだけれど、肝心の文字はぼかしがかけられている。
「いつものでいいんだっけ」
「うん」
 おばあちゃんはカウンターのケースからパンを出した。
「あのジェンキンスてのは、あんた、どういう議員だったか知っているかい?」
「ううん」
「奴の公約の一つは、この街の全ての人間にポッドとサプリを支給することだった」
「ポッドって? お湯を沸かす方じゃないやつ?」
「あんたはたまに変わったことを言うわねぇ」
 おばあちゃんは丸く見開いた目をぱちくりさせてから、小さく笑った。パンを紙にくるんでから、コーヒーを淹れてもらう。
「そうかな」
「まぁ、私たちのときにも、親が死ぬ前に墓の準備なんかもしていたもんだけどね。あんた、墓って知ってるかい」
「うん、知ってる」
 おばあちゃんは、時折自分の若い時の話をしてくれる。まだアンチエイジング・サプリもそれほど浸透していなくて、人は死ぬためにスイート・ポッドなるものに入ることもしていなかった時代のことだ。
 人は石で作られた墓というものの下で眠るのだ。僕もそれは知っている。みんな黒い服を着て、儀式をするんだ。でも、おばあちゃんは僕なんかよりもずっと物知りだ。それでもって、老いることのない薬と安らかな永遠のための棺桶なんかも、僕はこの街に流れ着いてから知ったものだ。
「またその話、してね」
「覚えていたらね」
 コーヒーが二つ揃ったので、僕はお礼を言ってデリを後にする。テレビではコマーシャルが流れていた。一日の間になんども聞く言葉だ。

 “あなたの健全な精神と身体のパートナー、ワトール・コーポレーションがお送りしております。”

 メリアムがデリの前をうろついている。やがて、僕のことを見つけると、「さっきの」と声をかけられた。さっきはろくに顔なんか見なかったけれど、彼女の顔はなんだかてかてかしていた。アンチエイジング・サプリのせいだと思った。そういった人たちは、なんだかてかてかした顔をしている。この街の多くの人がそうだ。だから僕は、この人の顔なんかすぐに忘れるだろう。
「なに?」
 彼女はその顔を僕に向けた。片眉が上がっていて、じろじろと見てくる。
「何度も悪いけど、あなたの名前も一応聞いておこうかと」
「ベンジャミン」
「ありがとう。連絡先は?」
「ブルースと同じ」
 メリアムはメモに僕の名前を書き付けると、そのまま上着のポケットにしまった。
「一つ聞いてもいい?」
 僕は興味本位で尋ねた。
「手短に」
「この前、ホームレスが死んでいたんだ」
 僕はこの間路地で、丸くなったまま倒れていた彼のことを思い浮かべた。
「それが?」
「彼のことはだれも調べないの?」
「だって、ホームレスでしょう? この時期じゃ凍死しても無理ないわ、かわいそうだけど」
「彼はポッドに眠るの?」
「さぁ。悪いけど、それは私の仕事じゃないから」
 メリアムはそんなことか、と言いたげにパトカーに踵を返した。
 命なんて、こんなものだ。僕はお腹が空いたし、コーヒーが冷める前に戻らなくてはいけない。

 夕方までブルースの事務所にいて、そのまま僕は思い立ったようにバーに行った。メインストリートをずっと下って行くと、娼館やパブのある歓楽街の並びがある。
 そこではサプリとか、ポッドとか、そういったものとは縁を切った連中たちの溜まり場だ。その並びにひっそりと佇んでいる店を見上げる。点滅する看板のネオンには、「MADE IN HEAVEN」という文字が浮かび上がっている。ここを天国と呼ぶ人間はどれだけいるだろうか。黄色いランプが釣り下がった天井に、壁に反響するロック風のジャズ。バーなんて格好つけたこと言っているけれど、ただの酒飲み場。
 たばこの匂い、酔いどれたちの歓声。労働者たちはこのときが至福だと下品な賛美歌を酒を片手に口ずさむ。
 カウンターの椅子は少し高くなっていて、隅の方が空いていたからそこに座った。窮屈な店内には笑い声と怒号と酒を煽るコールが響いていたけれど、この天国の支配者は僕を見つけ出すと、自分の子供のように歓迎してくれた。
 主人のエヴァンは、いつもはきはきと喋る。彼も含めて、ここにいる連中は顔もてかてかしていないから、僕は顔が覚えやすいなって思う。エヴァンは赤の混じったを無造作にかき揚げて、頰には髭を剃った跡がある。
「久しぶりだね、アンドリュー! 会いたかったよ!」
「ありがとう、エヴァン」
「何飲む? マティーニ? サイドカー?」
「なんでもいいや」
 僕はいつも支配者に任せる。神のことは神に任せたほうが楽なのだ。
 マスターのエヴァンは僕がまた具体的な注文を出さないことを不満にしつつも、カウンターの背後にあるボトルとグラスをとった。よれたシャツとギャルソンエプロンを着けた彼は、ついでに何か食べるかと聞いた。僕は食べると答えた。一つ席を空けて、二人組の女が誰かの悪口を大声で言っていた。たまに感情的になってテーブルを叩くのが、こっちにまで伝わって来る。
「一週間ぶりくらい? 金なかったの?」
「いや、別に」
「そう。寝るとこ困ったらうちで手伝いさせてあげるから、いつでも言ってよ」
「光栄だね」
 何年か前に、エヴァンは恋人とこの店を開いた。彼はそのときのことを、とても楽しそうに僕に話してくれる。でも、その恋人は数年前に本当の天国に行った。
 人にはそれぞれいろんなことがある。僕の近くで悪口を言っている女たちにもきっと彼女たちにとっては重大なクライシスがあっただろうし、悪口を言われているほうにも重大な事件が起こっている。ここにいる大半の人間にとって大事なのは、今を楽しんでいるかということ、明日の食い扶持に少し頭を悩ませること。新聞の一面にあった政府の個人情報漏洩や遠くの戦場の戦果なんて、彼女たちのニュースにはトップに上がらない。
「うちで働いたら君は天使だね」
 マティーニを出して、エヴァンはウインクをした。
「なら、遠慮しておくよ」
「ちぇっ」
 一緒に出されたナッツをかじって、僕はジャズに耳を傾ける。音楽のことはあんまり知らない。ジュークボックスが置いてあって、コインを入れたら曲を変えられる。僕は今まで一度も変えたことがない。誰が選んでいるんだろうな。
 僕は壁に貼ってある古びたポスターを眺めたり、客たちが突然歌い出す歌を聴いていたり、あるいは彼らの響き渡るような話し声をラジオみたいに聞く。
「最近はどうしてた?」
 二人組の女の愚痴を、しばらく聞いていたものの、その客が帰るとエヴァンは僕の前で肘を着いた。客がたまに酒を注文しては、すぐに対応する。僕は一人客なのにわざわざテーブルを使うのが悪いのかなと思ってカウンターに座ったんだけど、こうやって誰かのおしゃべりの相手をしなくちゃいけないのは得意じゃない。

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