15.ラブソング

「マリーはね、三十年前の十二月二十四日に死んだの」
 僕は銃の安全装置を解除する。弾も入っていた。
「だからね、今日は私がマリーという生き方を、なぞりたくてもできない日。二十二歳の、十二月二十五日」
「……君だけの日」
 そこにはオリジナルの影はまとわりつくこともない。彼女は満足そうに大きく頷いた。
「ありがとう」
 ターゲットに礼を言われるのは、はじめてだ。
「ひとつ、もうひとつだけ、依頼するわ」
 彼女の両手が、僕の頰を包む。ちゃんとした体温が、彼女には存在する。生きているのだから、当たり前なのだろうけれど。いや、その当たり前も、もうすぐになくなるのか。
「死なないで」
 僕は答えに迷う。
「人は死ぬんだよ」
 アンチエイジング・サプリなんかを飲んでも、どんな薬を飲んで病気にならなくなっても、いつかはこの街の人間もポッドに入るのと同じように。僕だっていつかは死ぬ。それは明日かもしれないし、もしかしたら、この5分後のことかもしれない。
「わかってる」
「どうして」
 わかっているのに、どうしてそんなことを聞いてくるのかと、僕は尋ねる。
「私のために。私の分まで生きるとか、そういうことじゃなくて。ただ、私のことを思ってくれるなら、生きていて。あなたが、そうできるかぎり」
「……わかった」
 いつ死ぬかなんて、誰にもわからない。明日には隕石でも落っこちてしぬかもしれないし、明後日には街ごと爆発してなくなってしまうかもしれない。
 でも、僕は彼女と約束をすることにした。
「私の机に、テープがあるから、よかったら持っていって」
 彼女の手が解けて、一歩下がる。僕の手を取って、銃口を胸に押し当てる。僕の手の上に重なった手は、少し震えていた。
「さいごまで、私を見ていて。私が生きている、さいごまで」
 僕の目は彼女を捉えていたし、彼女の大きな目の中には僕が佇んでいる。吸い寄せられるみたいだ。指先にかけた引き金に、力を入れる。彼女のいろんな表情が、フラッシュバックする。
 大きく口を開けて笑う。
 じっとこっちを見て僕の話を聞く。
 ときおり僕がわからないくらいに怒ったり、泣いたり。
 でもすぐにけろっと笑う。
 そうしたものを全て、引き金一つが消した。

 銃声が響き渡るまでの静寂が、とても長かった。
 彼女の髪がゆらりと揺れて、そしてゆっくりと背中から倒れていく。赤が弾けたみたいに、ブラウスを染めていく。思わず銃を投げ捨てて、両手を伸ばした。受け止めた彼女は、がっくりと上体をそらして、腕はだらりと垂れていた。口元は今にも笑い出しそうに曲げられていて、僕は顔にかかった彼女の髪を払う。目を開けたままだったから、まぶたに手をやると、まるで眠っているみたいだった。
 床に膝をついたまま、僕は彼女の顔を眺めていた。僕は、彼女を抱えたまま寝室まで運んで、ベッドに横たわらせた。

 僕は彼女が言っていた物を受け取ろうと、引き出しからテープとプレイヤーの一式を取り出した。それを、彼女が横たわっているベッドの端に腰掛けて、プレイヤーを再生する。
 ノイズが数秒あってから、彼女のふふ、という微笑みと、咳払い。それからピアノの、歩き出したような音に合わせて歌い始める。
 気がついたら、目からぼたぼたと水が溢れていた。どうしてだろうか、その雫は膝にこぼれ落ちた。
 耳に入ってくるのは、優しく愛を歌う、彼女の声。

 知っている。
 命は平等ではないということ。
 どこか遠くにいる人間が死のうが知ったことではないけれど、自分が見ている何かが失われたときには、ぽっかりと穴が空いたような気分にさせられる。
 そのくらい僕たちは身勝手で、不公平に生きている。
 がらくたと瓦礫に埋もれた、ちっぽけな世界の隅で僕はそんなことを思う。
 僕の頭上を今日もミサイルが飛んで行って、どこかの街を消しとばした。かつて僕がいた灰色の街の人々にとって、それは数で表す程度のどこかの誰かさんの命が消えたっていう、そのくらいのことだ。
 彼女がもうこの世界のどこにもいないとなっても、この世界にとっちゃどうってことのない話で、それで世界の流れが変わることはない。
 僕はまだ約束を背負っている。彼女が遺した歌を時折聞く。そんなことはとても些細なことで、僕が瓦礫の下に埋もれ死のうとも、まったくもってたいしたことじゃない。

 それでも僕は、喪わないように、確かに今、生きている。