14.コフィン

 エヴァンの店に行った。店の賑わい方は別段変わったところもなく、がちゃがちゃした人の騒がしさが響き渡っている。
「いらっしゃい。……彼女は?」
「一緒じゃない」
「そうかい。何飲む?」
「ギムレット」
「珍しい」
「なにが?」
「メニューをちゃんと決めてるところ」
 僕はカウンター席についた。置き去りになったピアノはそのままだった。あれ以来、誰も弾いていないんだ、とエヴァンは言う。
「エヴァンが弾いたら?」
「俺が?」
 エヴァンは驚いたように聞き返したけれど、首を傾げて、
「悪くないかもな。そうしたら、あれだ、彼女を呼んでもらって小さなライブでもやってみよう」
 と、提案した。
「楽しそうだね」
 メイドインヘブン。小さな天国のある場所。きっと、楽しいにちがいない。ピアノの話をしていると、グラスが出てくる。
「明日は行ってやれよ、彼女のところに」
「うん」
 言われなくとも、そのつもりだ。
「ちょっと意外だったよ。いつも一人で生活してるもんだとばかり思っていたからさ」
「存外、そうでもないよ」
「そうなの?」
 そうだよ、と僕は頷く。僕はブルースの事務所で小間使いだってやっているし、お花ちゃんの家に行ったこともある。
 ねぇ、エヴァン、僕は明日、彼女を殺すんだ。なんて言ったとしても彼はなんと答えるだろう。冗談はよせと言うのか、それとも、そんなことはやめておけと怒るのだろうか。僕は黙ってギムレットを飲んだ。別に飲みたい気分じゃなかったんだけど、なんとなくその名前が頭に浮かんだから頼むことにした。僕が黙っていると、エヴァンが話しかけて来た。
「気付いてた? ピアノ弾いてるときにさ、彼女を見てた目、すごく穏やかだったんだ」
「そうなの?」
 穏やかな僕の目ってどんな具合だったのだろうか。エヴァンは肩をすくめた。
「時折、べたべたしたカップルが来る」
 唐突に始まった話に、僕は耳を傾ける。一度だけ僕も遭遇した記憶がある。僕から一つ席を離したカウンター席で、二人とも蛸みたいに腕を絡み合わせてくっつきあって、しまいには店のど真ん中に躍り出てキスをし始めたのだ。しかも二人ともそれを声援だとでも思ったのか、服まで脱ぎ始めた。それに見かねた酔っ払いが空のボトルを投げつけてきて、エヴァンがどうにかその場を収めた。あんなに大きな声で起こるエヴァンを見たのは、それきりだ。そのカップルは頭の中にある文句という文句を並び立てて出て行ったのだ。流石に服は着てから出て行った。
「そんなこともあったな」
 エヴァンも覚えていたらしく、あれには参ったよと苦笑する。
「それ以外にも、なんか、たまに来るんだよ。そういうの。別に来るなとは思わないけど。まるで、世界には自分たちしかいないような感じ。俺や他の奴らはモノにしか見えていない感じ。ひどく脆くて、不安定で、見ていて心配になっちゃうんだよな」
 そう言いながらも、エヴァンは笑っている。テーブルから注文が入って、はいよ、と彼は答える。
「君もあの子もさ、そんな感じじゃなかったから」
「恋人じゃないから」
「そうだな」
「エヴァンは、どうだったの」
 彼は目を伏せて、そうだな、と呟いた。写真に並んでいる二人の姿。そこには僕の知らない出会いとか、会話とか、そういったものがたくさん詰まっている。
「友達なのか、恋人なのか、わからない人だよ」
 エヴァンはそれだけ教えてくれた。テーブル席に料理を持っていく。もう少し話を聞いていこうかと思ったけれど、だんだんと店は混み始めてきたし、酔っ払いたちとエヴァンたちは賑やかに話しているから、僕は帰ることにした。ポケットから金を出して、置いて出て行こうとしたら、いらないと言われた。
「ギムレットを飲んだろ?」
「ダメだった?」
「そうじゃない。そういうことなんだ。だから、また」
 エヴァンは店の外まで見送ってくれた。寒そうに腕を前で組んで、でも、こっちに手を振って。
「踏み倒したらごめん」
 一応、謝っておく。それから、彼にこの名前は誰のものなのか聞いてみようと振り返ってみたけれど、エヴァンはもう店の中に入って行った。僕は再び歩き始めて、スラムのアパートへと帰る。壊れかかった暖房と、おぼろげに点滅するあかりを点けて。何かを食べる気分にはなれなかった。そのままベッドに倒れこんで、靴を脱ぎ捨てる。隙間風が入ってきて、薄いブランケットに体を挟んでまるまる。

 何か夢でも見るかと期待していた。例えば、ちょっと感傷的な思い出の詰まったやつとか。いままで殺した人が出てきて、僕に詰め寄ってくるとか、養母やメルキオールが出てくるとか。でも、今日も僕はぐっすり眠っていて、夢なんかちっとも見やしなかった。
 昼過ぎになって、彼女の家に行こうと準備をした。外に出ると、またちらちらと雪が降っていた。店の並んだ通りに出ると、子供たちがはしゃぎまわって親の手を引いている。ショーウインドウには、大きなぬいぐるみやブロックのおもちゃが展示されていたり、少し歩けば指輪やネックレスをきらびやかに飾った前で男女が並んで眺めている。花屋があって、僕はふと立ち止まった。彼女の家にあるような花がたくさんある。ブリキのバケツに入れられていて、札が貼り付けてある。
「贈り物にいかがですか?」
 店員に声をかけられて、適当に見繕ってくれと金を渡した。にこりと微笑んだ店員は少しして、黄色の花束を作ってくれた。それからまた歩いて、彼女の家の前に着く。こっちがノックする前に、扉ががちゃりと開いた。彼女は、僕がくることが予測できていたのだろうか。
「綺麗な花ね。私にくれるの?」
 うん、と答えると、彼女は僕に抱きついて、頰に二回も口付けてきた。花束がくしゃりとならないよう気を使う。
「素敵な服着てるのね」
「友達からもらった」
 前にブルースが僕にくれた服だ。どこかの有名なブランドらしくて、これを着るのはなんだかもったいなくてなかなか袖も通せなかったんだ。似合ってる、と彼女はシャツの皺をなぞる。
「どこかに行く? それとも、うちで映画でも見る」
「寒いよ」
「じゃあ、映画にしましょう。ポップコーンがあったと思うの。食べる? 映画は何にしましょうか」
 僕を部屋に連れていきながら、彼女はずっと喋っている。一秒でも惜しいかのように、僕の手を握りながら。
 花束を受け取ると、窓辺にあった花瓶に差した。キッチンでコーヒーを淹れてもらってから、二人でテレビの前で映画を選んだ。ネット配信しているものから、彼女が気に入っている映画を見ることにした。自分と自分の想い人が幸せになるために何度も過去に戻ってやり直す男の話だ。途中で彼女はポップコーンの袋を開けていたけれど、終わるまでには食べ終わらなかった。映画が終わる頃には、彼女は目元を押さえていた。
 映画が終わっても、僕たちは並んでソファに座っていた。彼女は僕の肩に頭を乗せてきて、長い髪がレースみたいだ。
「ムダな話なんだけれど」
 彼女はワトール・コーポレーションのコマーシャルが流れているテレビを見つめながら、小さな声で言った。
「過去に戻れるならって想像することがあるの」
 テレビの中では、人がガラスケースの中に入っている。その人はシワの一つもない、機械みたいなもので、にこにこしながら、それからやがて目を閉じる。
「学生のころに、ああいうポッドに入ったクラスメイトを見たの」
 コマーシャルの俳優が言うには、あのガラスケースの棺桶はとてもファッショナブルらしい。”入眠”の瞬間はとても心地よく、本当に、眠るように。彼女はチャンネルを変えたけれど、変えても変えても、ワトール・コーポレーションはカラフルなサプリメントと棺桶の売り込みをしている。僕はテレビを消した。彼女は何も言わずに、また話し始めた。
 それは、彼女のクラスメイトの話。十六歳でポッドに入った話。ポッドに入るのは、永遠の揺りかごに入って眠るようなもので、クラスメイトの誰もが平然としていたんだと言う。彼女のクラスの教師も。
「みんな、ポッドに入りたいの?」
「ポッドに入れるのはいいことってみんな思ってる。素敵な人生を送って、それからポッドにね。でも、まだ十六歳だったの。……狂ってるって思った。自分で死んでるようなものなのに、誰もが健全だなんて言うの」
 彼女の声は震えていた。前髪をくしゃりと掴んで、彼女は顔をしかめた。
「わかってるの。あの子がポッドに入ったのは、健全なんかじゃないの。あの子には逃げる場所があの棺桶の中しかなかったんだ。あの子を殺したのは私、あのクラス、この社会」
「君が?」
 だって、ポッドっていうのはお金持ちで健康的な人が入ることを認められるって聞いたんだけれど。彼女は首を横に振った。
「よく覚えてるの。クラスの隅っこにいて、あたしは声をかけてみるけれど、そうするといつも困ったような顔をして。あたし、それに腹を立てたこともあるの。せっかく気にかけてるのにって。でもね、あの子からしてみれば、あたしが気にかければ気にかけるほど、周りがそれが気に入らなくて、どんどんどんどん、居場所を失ったの。あの子がポッドに入ったって聞いて、あたし、怖くなった。あたしたちのせいなんだって。なのに誰もそんな風に思っちゃいないんだって」
「過去に戻ったら、その子を助けたいの?」
「……ひとりよがりな考えよね。それで、自分の罪悪感を軽くしようとしているんだわ」
 彼女は泣き始めた。僕はどうしたらいいかわからなくて、ただその場に座っていた。最後の日なのに、それとも、最後だから? 僕にこんな話をしてくるのは。
「ごめんなさい、こんな話して」
「ううん」
 彼女は泣きながら、笑顔を作ろうとしていた。赤くなった目をこすって、鼻をすすった。
「でも、こんな風に泣いたり笑ったりできるのも、今日がさいごだもの。ちょっとくらいみっともなくても、許してね」
「いいよ」
 みっともないなんて思ってもいなかったから、僕がそう言うと、彼女はくしゃっと笑って僕の頰をつねった。
「夕飯、何食べたい? ちょっと早いけれど」
「君の好きなものにしなよ」
 わかったわ、と彼女は微笑む。ソファから思い切ったように立ち上がって、空になったマグカップを持って部屋を出て行く。僕は真っ黒になったテレビ画面に視線をやった。ほんの少し眠たくなって、軽く目を閉じた。
 相変わらず僕は夢を見ない。僕は映画の内容をぼんやりと思い返していた。結局、主人公はどうしたんだっけ。過去に戻って、何をしたんだっけ。
 過去に戻ったら、どうする?
 セピア色に褪せた記憶のどこかに巻き戻すことができても、僕は何ができるっていうんだろう? メルキオールを? それとも、マザーを? なんて考えて、僕はやめた。

 どちらにしても、僕たちに過去という道はない。
 薄目を開けて、重たい体を起こす。部屋を出ると、彼女はエプロンをつけて、キッチンの前に立っていた。
「なににするの」
「ないしょ」
 彼女は思い出したように冷蔵庫を開ける。いろいろと取り出して、僕のことなんか見えていないようにせわしなく手を動かしている。
「なにかしたほうがいい?」
 一歩引いて聞くと、彼女は手元を見ながら、部屋にあるタブレット端末を持ってきてと言った。僕はソファで、さっきネット配信チャンネルで映画を選んでいたときに使ったタブレットを見つけた。それを彼女に渡すと、手短に操作してから僕にまた渡した。持っていてとのことだ。ないしょって言われていたけれど、タブレットには本格シチューのレシピ、なんて書いてある。彼女は僕をちらりと見上げてから、くすくす笑っていた。
 シチューと、パンと、サラダが今日のメニューだった。ケーキもあるのだと、彼女は嬉しそうだった。
「メリークリスマス」
 ワインも開けて、彼女はグラスを傾けた。かちゃん、とグラスのぶつかる音。美味しいと彼女は驚いてもいた。本当に美味しかった。僕も頷く。食べながら、彼女はいったりきたりの話をした。
 彼女が好きだった絵本の話とか、お気に入りのぬいぐるみの話とか、去年行ったカフェのフルーツタルトが美味しかったとか。欲しいと思っていたワンピースを今度買おうと思っていたらいつの間にか売り切れていたこと。学生時代の新年パーティーで、朝まで踊って歌った日に年上に初恋をしたこと。その半年後に相手には彼女がいたと知って泣いたこと。親に薦められた友人も恋人候補のこともみんな大嫌いで、こっそり家を抜け出しては夜クラブに行って遊び通していたこと。音楽教室の生徒が発表会で今までで一番上手くピアノが弾けたときに自分が泣いてしまったこと。エヴァンの店で歌ったときに拍手をもらったのがどれだけ嬉しかったか。そういうことで彼女の人生が積み上げられている。
「それから……あなたに会ったこと」
 彼女は空になったケーキの皿の横に、コーヒーの少し残ったカップを置いた。そして、席を立つ。戸棚の奥から出されたのは、初めて僕たちが出会ったときに彼女が僕につきつけた銃だ。僕も彼女の前に立って、銃を受け取った。

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