12.フェイク

 お花ちゃんはベッドに置いた僕の手に触れた。人差指をつまみあげて、離す。そんな遊びを繰り返した。人差指と中指を掴んで、ぎゅっと握る。四回目くらいのところで、彼女はぽつりと言った。
「ずっとどこにいたの」
 彼女の言っている意味がわからなかった。僕はちょっとしてから、答える。
「いろいろ」
「いろいろって?」
「いろんなところだよ」
 お花ちゃんは不機嫌そうに頰を膨らませた。
 答えになっていない。でも言葉のとおりなんだ。僕はいろいろなところに行った。最初は養母たちと過ごした場所から近いところにいた。でも、だんだん遠ざかっていった。自然と僕は街を流れていって、そうして今はここにいる。サプリメントでてかてかな顔になった人たちの群。死ぬときにはポッドに入る人たちの街。
「聞いてもいい?」
 今度は僕が尋ねた。なに? とお花ちゃんは頷いた。
「ポッドに入って死ぬ人達、お墓に入らないんだよね」
「墓って、土の中ってこと?」
 彼女は目をぱちくりさせた。僕はそうだよ、と答えた。
「あなたのところはそうなの?」
「僕の育ったところはね。みんな土の中。それで、石を建てる」
 それが当たり前に思っていたけれど、この街ではそうではない。サプリメントで生きた人間たちは、ポッドに入って永遠の眠りにつく。ただし、この街の「市民」と呼ばれる人たちだけ。彼女にはきっとそのポッドは与えられないし、もちろん、街中で倒れているしわくちゃのホームレスにもない。きっと、ブルースもエヴァンも、あのポッドには入らないのかもしれない。ブルースは入れるかもしれないけれど、煙草が好きな彼なら、断るのかな。あのポッドに入らない人たちが、どこに眠るのか、僕はよく知らない。この街には墓場がない。
 彼女は僕の話を興味深そうに聞いていたけれども、そっか、と何度か頷いてから何かを考えて、それからこう教えてくれた。
「ポッドの中で眠るとね、私は知らないけれど、長い長い夢を見るんですって。そこに入った人たちはこの国のための礎になる。本当のことを言うとね、私、知っているの。あれはスイート・ポッドなんて名前じゃなくて、ただの試験管なの。ポッドで眠った人間の臓器を、他に移植するの。私、昔見たことがある。私みたいなクローンじゃなくて、もっとリーズナブルなのを作ろうとするためにね」
「再利用ってこと?」
「そう、リサイクル! とってもエコよね」
 彼女は声を上げて笑った。じゃあ、あのジェンキンスとかいう議員は、あのポッドをもっといろんな人に入って欲しかったんだな。
「わたしもそのポッドの中に入れてしまえばいいのにね。きっと、本当に要らないのでしょうね」
 僕はなんと言えばいいのかわからなかった。
 この国のお偉い方がそう決めたことを、僕が簡単に否定も肯定もできなかった。お花ちゃんは、わかった? と聞いてきた。僕はよくわかったと答えた。彼女は寝返りを打って、僕のことを見上げる。
「わたしのこと、怖いと思わないのね」
「どうして?」
「だって、私はクローンなのよ。誰かのコピーなの。それも死んだ人間のDNAから作られた、人間じゃないのよ」
 僕は彼女の顔を改めて見てみた。てかてかしていないけれどつるっとした白い肌、大きな目、長くて糸みたいな髪の毛。僕はその頰を指でつついた。彼女はくすぐったそうに笑った。
「そうかな」
 僕は首を傾げた。
「なにが」
「君が人間じゃないって言ったこと。僕には、この街のたくさんの人より、人間みたいに見える」
「どういうこと?」
「てかてかしてない顔」
 すると彼女は吹き出した。何が面白いのかわからなかったけれど、彼女はそれからくすくすして、目を細めた。
「アンチエイジング・サプリのことね?」
「うん」
「みんな、変に年を取らないようにするから」
 そうなんだ、と僕は頷いた。正直、あの顔はあんまり好きじゃない。みんなプラスチック製みたいだ。でも、ブルースもエヴァンもてかてかした顔をしていない。メリアムとかいう刑事はそうだった。街ですれちがう人たちはみんなそんな顔をしていて、いつしかみんな同じ顔になってしまうんじゃないかとも思う。
「どうしてみんなあれを飲むの?」
「健全な国民だからよ」
 彼女はうんざりした様子で教えてくれた。
「でも、本当は飲んでいる人たちもわからない。みんなそうしているからそうしてる。体にいいってみんな言っているからそうしているだけ。もしかしたら、ワトールはもっとすごいことを考えているのかもしれないし」
 それこそ、みんないつか同じ顔にしてしまうのかもしれない。みんな同じ体、同じ顔で、みんな戦争とやらに駆り出される。誰もよくわかっていない『戦争』に。でも、なんのために? 僕にはわからない。
「でも私、ここの話よりもあなたの話の方をもっと聞きたい。ここじゃないところのこととか」
 彼女は自分の髪をうっとうしそうに払って、寝返りを打った。天井を見上げて、盛大なため息をついた。窮屈そうにしかめ面をしている。
「この街のことなんかどうでもよくなるような場所に行ってみたかった」
「行けなかったの」
「マリーが行かなかったから。生まれて二十年はずっとそうだった。知らない人間の人生をそのまま辿っていかなくちゃいけないなんて、最悪の気分だった」
 マリーがしなかったことを彼女はできないし、マリーがしたことを彼女はしなくちゃいけない。彼女はクローンだから、マリーのコピーだから。でも、コピーってなに? 誰もまったく同じにはならない。ワトールだって、知っているはずなのに。
「でも、こうしてあなたに会えた。エヴァンにも。素敵な人ね」
 彼女はぱっと顔を輝かせる。エヴァンはいい人だと思う。ブルースもそうだ。僕は会わせるか迷ったけれど、やっぱりその話はやめることにした。マリーはブルースのことも気にいるんだと思う。
「そういえばぼんやりと聞こえたのだけれど、どうしてアンドリューって呼ばれてるの」
「エヴァンが付けたんだ」
 僕は名乗らなかった。お花ちゃんに言ったのと同じく、彼にも好きに呼べばいいと答えた。ブルースにも。そうしたら、彼らは各々僕に名前を与えた。
 アンドリュー、ベンジャミン、そしてデイヴィッド。
「本当のあなたは?」
 僕に本当も嘘もない。僕は僕でしかない。それが嘘であると言われても、僕にはそれが嘘だと示すことはできない。ただ名前が違うだけのこと。それがなんてあろうと、僕が僕であることの何も変えることはできない。
「さぁね」
 だから僕は、そう答えて、続けて聞いた。
「本当の君は?」
 彼女はくすっとした。意地悪ね、と呟いた。
「もしかしたら、クローンじゃないかもよ」
 僕がそう言うと、彼女は目を大きく見開いた。
 枕を抱きかかえて、今にも泣きそうに口元を歪める。どうして、と聞かれたようだった。僕は自分の頭に浮かんだその考えを、彼女に伝えた。
「だって君、マリーじゃないんだろ」
 彼女は枕に自分の顔を埋めて、嗚咽を漏らした。どうして彼女が泣いているのか、僕は理解できない。
 彼女はマリー・ワトールのクローン。三十年前に死んだバルヴォ・ワトールの一人娘で、ワトール・コーポレーションが作り上げた最初のクローン人間。死んだマリーとまったく同じ顔で、同じ笑い方をしている。でも、どうやったらその人はまったく同じ人になれるのだろう。どうすればその人になることができるんだろう。
 「本物」には、どうやって?
「意地悪よ、本当に……」
 お花ちゃんは僕に背中を向けた。
「お願い、これ以上私に死にたくないって思わせないで」
 お花ちゃんはぴしゃりとそう言って、僕に出て行ってと告げた。僕はわかったよと彼女の家を出た。戸締りをどうしようか迷った。彼女の玄関に、鍵が置いてあったのを思い出したから、そっと入り直した。彼女の寝室はがらんと静かになっていた。きっと、もう眠ったのだろう。僕は鍵をかけてから、玄関口のポストに入れて置いた。

 雪がちらちらと降っていた。そういえば、いつも記憶にあるのはこんな風に寒い日のことだった。ポケットに両手を入れて、僕は人ごみの中に紛れる。賑やかな通りはイルミネーションが街路樹に巻きついて、目に痛いくらいに光を発していた。すれ違う人たちの顔はやっぱり、てかてかしていて、イルミネーションを反射しているみたいだった。時折、見慣れた顔立ちの人も混じっているけれど、あの顔の群の中にいるとその人はやけに老け込んでいるようにも見えた。でも僕は、あの老け込んだ顔が「人間」に見える。
 てかてかした顔の人たちは、そうだ、あれに似ている。ワトール・コーポレーションのエントランスにいた、機械の受付に。

 そこで僕はようやく気がついた。バルヴォを見たときの、あの違和感の正体に。

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