4.安っぽい優しさ

 自転車のカゴに、頼まれた配達物と自分の長袖の上着を入れてサクマは通りを走っていた。風は生ぬるく、爽快感は少ない。
 錆びた荷台でサクマに背中を向けるようにモモセが腰掛けているが、重さは感じない。モモセの方は、二人乗りに気分が高揚しているようだ。
「ねぇ、どこ行くの?」
 信号で停まったとき、モモセは体の向きを横にずらして聞いた。今周りに人いないよ、と付け加えて。サクマは信号を見ながら答える。
「ムロウさんの家」
「お届け物?」
「そう」
 サクマ以外渡らない信号が青へと変わる。右手は土一面の畑で、風が強めに吹くと砂埃が舞ってスニーカーにかかる。サクマは熱いコンクリートを蹴って、前へと進む。

 ムロウという老父が住む家はサクマの祖父母の家から自転車で10分程度の場所だ。祖父母の家も2階建ての一軒家でサクマにとっては十分広い家ではあるが、ムロウの家はもっと古風な屋敷のような建物だ。なんでも昔からある家で、代々家族が継承して住んでいるという。サクマの祖父とも親交が深く、時折使いに出されるのだ。
 そのムロウ老人は現在1人で住んでいる。詳しい事情はサクマも知らないが、話を聞いていると家族はいるらしい。サクマは片側だけが開いている門の前で自転車を停めると、中に入って母屋のインターフォンを押した。すぐにどたばたと足音を立ててムロウ老人が現れる。背は低く、サクマに向けて視線を少し上げるとおっ、と嬉しそうに顔を明るくさせた。
「ヒイか。あぁ、ツネオさんから?」
「うん。じいちゃんのおつかいで来ました」
 自転車のカゴに入れていたビニール袋をムロウ老人に渡す。中身は見ていないが、きっと祖父が庭の外れで作っている野菜か何かだろう。ムロウ老人はわざわざありがとう、と礼を言う。庇が陰を作ってくれてはいるものの、じっと暑い中で長々と立ち話をしたくはなかったのでさっさとサクマは帰ろうとしたが、ムロウ老人は気に留めずに話し始める。
「夏休みはどうだい?」
「特に……ですね」
 サクマはぎこちなく答える。答えられるようなことなど、何一つなかった。あまりに単調な、肌にへばりつく湿気のような気だるげな毎日。
「まぁ……ヒイはおとなしい子だから、むしろヒイくらいの歳なんざ悪さばっかでろくでもないだろう。そういうことが無いってのはぁ、孝行な子だよ」
「どうも……」
「あぁ、ちょっと待って、今ジュース持ってくるから」
「いいですよ、そんな。帰ったらありますし」
 そう断ったものの、ムロウ老人はすでに家の中に入っていき、廊下をどたどたと歩いて物を取りに行った。ふと視線を横にやると、モモセがじっと家の表札を眺めている。気難しそうな表情で、時折長い黒髪をさらさらと撫でた。
「久しぶりに孫たちが来るっていうんで、いろいろと買ったんだけどこりゃ多すぎるだろって言われちまってな。周りに配っているんだ。よかったら受け取ってくれ」
 ムロウ老人はビニール袋に缶ジュースをいくつか入れたものをサクマに渡した。適当に入れたのだろうか、数えると4本入っている。期間限定の桃のジュースのようだ。
「ありがとうございます」
「いいっていいって。お二人にもよろしく伝えてくれ」
「はい。お邪魔しました」
 サクマはようやく解放されたと自転車に再びまたがる。額が少し汗ばんでいた。
「なんか……聞いたことあるんだよなぁ、ムロウさん」
 モモセが独り言なのかサクマに意見を求めているのかわからない声量で呟く。町内会でも頻繁に顔を出している人だから、知っている人は多いかもしれない。が、モモセにそれを言ってどうなるともわからない。

 ムロウの家を出てすぐの道は駅前通りにつながっているため、人もちらちらといる。サクマは口を閉ざしたままだった。どちらにせよ、本人が曖昧にしているのだから、モモセが探している人物ではないだろう。
 サクマは、店の中を覗き込んでから家へと上がろうとしていた。店頭には祖母が、小学校にも上がっていなさそうな子どもを連れた女と何か楽しげに話し込んでいる。子どもは退屈そうに、片手は母親とつながれたまま花をじっと眺めている。あれはまだまだ続きそうだ。

 サクマはそっと家から上がりこんで、台所へと向かう。自転車を停めたところでコウメが出迎えるように尻尾を振りながら近寄ってきたので、軽く頭を撫でてやった。台所でコップを3つ出し、ムロウ老人からもらったジュースを袋から取り出して並べる。
「明日、少し出かける」
 サクマが放った言葉が自分へと向けられていたことに、モモセは一瞬気が付かなかった。
「あんたの探して欲しい人、宛てはあるの?」
「あて、かぁ……」
 モモセは唇に指を押し付けて、うーんと唸る。
「名前は、アイウチメグコ、っていう子」
「……名前だけ知っててもわからないだろうが」
 呆れたサクマはため息をついた。だいたい、このあたりに住んでいるとして、いくら都市部郊外のここでも一体何人住んでいるのかわかっているのだろうか。それをしらみつぶしに探している時間も労力も持ち合わせていない。
「大丈夫だよ! なんとかなるなる」
「ろくなこと言わないんだったら、探さないからな」
 サクマがそう言うと、モモセは口を尖らせて文句を叫んだ。サクマしか聞こえていないとわかってか、やけに喚き散らす。庭からコウメが1度だけ吠えた。死んでも探したい人間なんて、いるものなのだろうか。サクマはジュースの入ったコップをトレイに乗せて祖母のいる店へと持って行った。

 祖母と、一緒に話し込んでいる客とその子どもにジュースの入ったコップを渡すと3人はサクマに礼を言った。祖母だけはジュースを水で少し薄めている。モモセがそれを見るとあからさまに顔をしかめたが、これが祖母にとって普通の飲み方なのだ。それを知っていたので、水で少し甘いジュースを割る。
 客の親子には氷を入れたグラスを渡すと、退屈そうにしている子どもは満足そうにちびちびとコップに口をつけていた。コップを渡したらさっさと下がろうとしたが、祖母が呼び止めた。
「お孫さん?」
 と、客がサクマを見て尋ねる。サクマの代わりに祖母がそうなの、と答える。常連ならばよく知っていることではあるが、サクマもこの親子を見るのは初めてだった。
「あら、いくつ?」
「えっと……今、高1です」
「ってことは、16歳だっけ?」
「いや、まだ15です」
 冬生まれのため、まだ誕生日を迎えていない。訂正するほどのものではないが、祖母が聞いている中、適当なことを言うと後で小言でも言われると面倒だ。すると客は若いわねぇ、と微笑んだ。サクマもついぎこちない表情になる。相手も子どもがいるような雰囲気をしていなかったが、それを言ったところで何になるのだかと視線を逸らした。
「今夏休みかぁ。高校は?」
「北若浦です」
「あら、そう、私もよ。卒業生」
「そうですか……」
 サクマも通っている北若浦高校はこの街で唯一の高校だ。生徒の多くもこの街から通っているから、何も不思議なことでも偶然的なものでもない。こんな実のない話をし続けても、子どもも退屈だろうと視線を落とすと、空になったコップの淵をぺろぺろと舐めていた。
「なんか……この子見たことあるなぁ」
 後ろでモモセがふと呟いた。つい振り返りそうになるが、モモセの方がサクマの隣にふわりと降りてくる。そしてモモセに気付きもしないその母親の顔をまじまじと見つめる。これが探し人ならばそんな楽なことはない、とサクマは願った。これが当人であってくれ、とサクマはモモセの後ろ姿を眺めながら小さく祈る。
「あ……あれ? うーん……なんだったかなぁ……」
 これがアイウチメグコ? とはいえ、どう確認すればいい? ……あなたはアイウチメグコですか、と直球で聞くか。いや、そんなこと聞いたところで怪しまれるだけに決まってる。たった今俺たちは不毛な会話をしている客と店員の手伝いという関係でしかないっていうのに。
「ばあちゃん、よく来てくれるお客さん?」
 思いつきで祖母に聞くと、そうなのよ、と祖母は答える。
「オオイシさん、最近よく来てくれるのよ」
「うん。ママ友たちの間でね、ハーブとかプチトマトとか育てるのが流行ってて」
 そんなことが流行るのか、とサクマにはわからない世界だったが、これ以上聞くことはないためにへぇと適当に頷いた。オオイシということは、探している人間じゃない。いや、結婚しているとなれば苗字が変わっている可能性もある。どちらにしても、これ以上深く尋ねるのは気が引けた。モモセは未だに迷っている顔だったが、この人はアイウチメグコではない。サクマはなんとなくそうなのだろうと感づいた。サクマにとって重要なのはそれだけだ。
「あ、スーパー行かなくちゃいけないんだった。ごめんなさいね、ジュースまでいただいちゃって」
「いいのよ。またいらしてね」
 祖母はにこやかに手を振り、サクマは二人が置いていったコップを重ねて台所へ持って行った。
「……気のせいだろ」
 未だに腑に落ちないという表情をしているモモセに、ぼそりとサクマは呟いた。そんなに都合よく探し人がいるなんてそうそうないだろう。少しばかり期待を持っていた自分も馬鹿だった。
「いやさ、あの子……知り合いかもしれないんだよ」
「だとしても、アイウチメグコには関係ないだろ」
 コップを洗いながらサクマは反論する。知り合いだとしてもそれはサクマには関係ない。
「もしかしたら、メグコのこと知ってるかも」
「なんで」
「だって、同級かもしれないから」
「同級?」
「うん。あたしとメグコと……あの子、もしかしたら、隣のクラスの子だったかな。多分、同じ学年。オオイシねぇ、いたかなぁ」
 するっとコップが滑り落ちそうになり、慌ててサクマはしっかりと掴んだ。モモセが大丈夫? と声をかける。サクマは水をじゃあじゃあ流して、泡を落としていく。焦っている、というより、混乱している。

 あの客には子どもがいた。子どもがいるようには見えない、ネイルのされた指や茶色の巻き髪が目に止まったが、彼女にも確かに5歳程度の子どもがいる。それが、モモセと同じ学年だと? どうやってもモモセは高校生に上がるか、それとも中学生といった容姿だ。ワンピースから露出した肩から腕にかけても、鎖骨のあたりも、どう見ても発達しきれていない子どものものだ。
「あの人、25くらいだった」
「まぁ……あたしもそのくらいなのかな。生きていればの話だけど」
 さらりとモモセは言う。サクマはようやく、そうか、と納得した。彼女はすでに故人であり、幽霊という存在で数年過ごしているのだ。あの捨てられた屋上で、何年も……?
「先に言え」
「あ、クラスメイトって言ってなかったっけ? ごめんごめん」
 モモセは軽い調子で舌をぺろ、と出した。サクマは小さくも相手に聞こえるように舌打ちをした。コップを洗い終わると、濡れた手をさっさと振る。相手のしみったれたような事情についてなんて聞きたくなかったが、とにかく探さなければならない人間について情報が皆無に近いのは厳しい。年齢も、サクマはてっきりモモセと同じように十代半ばを想像していた。だが、相手は二十代半ばから後半にかけて、というところか。モモセがそのことを言わなかったのは、故意なのかそれとも本当に忘れていたのか。
「帰ったら聞く」
「オッケー。なんか、探偵みたいで楽しいね」
 モモセはそう言ってふふ、と笑うがサクマにとっては何も面白いことなどなかった。
「にしてもさ、君って結構優しいところあるよね」
「なにが」
 にやにやと人の顔を覗き込むその表情に、サクマはとっさに嫌そうに口元を歪める。
「ジュース」
 モモセはそれだけ言うと、コウメのいる方へと泳ぐように進む。彼女が近づくと、コウメは途端に尻尾を振り始める。サクマはその場から動かずにその様子を眺めていたが、裏庭に居る祖父から呼び出されると、モモセを置いていった。
 優しいだなんて言ったって、所詮貰い物を他人にやっただけだ。自分には、誰かのために自分が我慢や傷を負うまでのことができる優しさは持ち合わせていない。小さな、安っぽい優しさしかかけてやれないのだ。……だから、先日廃ビルの屋上に侵入することが頭をよぎった。安っぽい優しさしか持てない自分が、誰からも受け入れられていないような気がして。そんな自分に、嫌気がさして。

続く