10.写真

 店に到着すると、祖父母たちは彼を快く迎え入れる。そしてさっそく彼の手伝いを喜んで、あれこれと頼んでいた。花の水やりや交換、あとは時折レジ前に腰掛けて店番。話し相手を求めてやってくる常連がくるとサクマはすぐさま他の作業をしている祖母を呼び出して対応していた。昼を過ぎると、祖父は町内会の集まりだとかと言って外出していき、サクマもいつものごとく本を読んで客を待っていた。そろそろ読み終わってしまいそうだったので、新しいものを用意する必要があるなと残ったページを見て思う。祖母が出てくると、ちょっと奥で休憩しておいでと言ってきたので上がることにした。店先で座っているのも、奥で休憩するのもさして違いはないのだが、とりあえず飲み物だけでも飲んでおこうかと彼は麦茶を取った。
「広いよねぇ、この家」
 改めてモモセが見渡す。そうか、とサクマもあまり自覚していたなかったので首をかしげた程度だった。台所で空になったコップを置き、しばらく曇りガラスを見つめていたが、彼はふと麦茶のポットを冷蔵庫にしまってから店先を覗き込んだ。ちょうど常連の老人がやってきて祖母と楽しげに世間話をしている。この様子なら大丈夫だろうと、彼は反対方向へ歩き出した。
「トイレ?」
 モモセが聞く。サクマは無言だった。緊張した面持ちで向かった先は、祖父とラジオを探したあの物置部屋だ。
「ここって……物置……だよね」
「中に入って、ちょっと見てくれる」
 サクマからの頼み事に、モモセは冒険に繰り出される気分にでもなったのか敬礼の仕草をして「了解!」と意気揚々と戸の中へと吸い込まれていく。サクマは閉じたままの戸の前で腕を組んで考え込んでいた。前に入ったときと変わっていないのならば、あそこにあるはずだ……。
「相変わらず汚いよー。物がぐちゃぐちゃになってる」
 顔だけ飛び出させてモモセはしかめ面をする。
「前と変わったことは?」
「うーん……片付けた感じはないかな」
「わかった」
 なら話は早いと、サクマはゆっくりと戸を引いた。建て付けが悪く、がたっと音を立てると祖母に聞こえないかどきりとした。横向きになって通り抜けられるくらいまで戸を開けると、彼は中に入った。モモセが言った通り、前回入ったときと変化は見られない。ラジオを探してから誰も入っていないのだろう。わざわざ確かめる手間が省けるのは楽だな、と思いながらサクマは目当てのものを探し当てた。祖父が適当に棚に押し込んでいた、白いアルバム。白といっても時間の経過のせいで黄ばんでいる。開くと余計に埃が舞って思わず咳き込んだ。あまり時間もないだろうと彼は焦ってページをめくった。
「これ……あなたのママ?」
 モモセも覗き込んで驚いて指さす。そこに写っている写真たちは、サクマの母の若かりしころの姿だ。写真を抜き取り、裏面の日付を確認してみると18年前、サクマがまだ生まれる前だ。その写真は友人らしき女たち数人と、パーティドレスを着てピースサインを向けている。写真を戻し、彼はさらにページをめくった。
「あった」
 思わず彼も声を上げた。祖父が見なくてもいいと言った理由はここにあったのだと、サクマは見る前から薄々気付いていた。見てしまったら、自分も傷つくのだろうと。しかし自分が「行きたい場所」の手がかりはここしか思いつかなかったのだ。
 写っているのは、母と、一人の男だ。先ほどの写真と同じ18年前だが、日付はこちらの方が遅い。母は男の腕を取って幸せそうに笑っている。男の方は白衣を着て、どこか照れ臭そうにしていて、片方の腕を自分の頭の上にのせていた。背景に映っているのは、病院だ。サクマはとっさに自分のズボンの尻ポケットに入れていた携帯を取り出すと、二人の写真を撮った。少しぼやけていたが、病院の名前がしっかりと写り込んでいるのを確認するとまたページをめくった。
 その後に続いたのは、知らない人々の写真で、母が映っているものは少なかった。いずれもどこか事務室のような場所で撮影されていて、看護服を着ている人もいた。病院の人の写真なのだろう。最後にあったのは、母と映っていた男の写真だ。今度は一人で、手を後ろに組んでにこりと笑いかけている。眼鏡をかけていて、人の良さそうな雰囲気を纏っていた。背には診察用のデスクらしきものがあり、そこにいろいろと紙が貼り付けられている。サクマはその写真をとると、思わず二つに折りたたんでポケットにしまいこんだ。
「おばあちゃん、呼んでる」
 モモセがはっとして顔を上げる。サクマも急いでアルバムを棚の奥にしまって物置を出た。戸をやや強引に引き戻し、早足で祖母のところへと戻った。客はもう帰っていた。
「ごめんね、トイレ行ってて」
「あら、失礼。そろそろ夕飯のお買い物しようかと思って。留守番頼んでいいかしら?」
「うん。いってらっしゃい」
 サクマはポケットにあたりに手を触れて、そこに写真があることを確認しながら祖母を見送った。

 夕飯は唐揚げが出てきた。おそらく、祖母が思う高校生の男子が好きなものの代表がこれだったのだろう。大皿いっぱいに作ってくれたのはいいものの、元よりあまり食べない彼はすぐに残してしまった。胃が気持ち悪く、風呂に入ってからは休もうと庭が見える方へと足を伸ばしていた。コウメが夜になっても彼に会えることが嬉しいのか、とことこと歩み寄って、近くで伏せをした。
「おー、コウメも嬉しそうだな」
 祖父がうちわを片手にやってくる。サクマは微笑を浮かべる。祖父は隣にあぐらを掻き、彼に最近はどうだと何気なく聞いた。
「どうもしないよ」
「そうか。宿題はどうだ?」
「そろそろ終わる。あとは新聞のスクラップ作って……あ、読まない新聞あったら、もらっていい? うちは取ってないから」
「そりゃ構わんよ。どんどん読むといい」
「ありがとう」
 祖父は無口なため、話がなかなか続かない。祖父も孫がサクマ一人しかいないせいか、接し方にも時々困っているような空気が伝わる。小さい頃は花の話などをたくさん聞かせてもらっていたものの、高校生にもなった少年に対して、何を語ろうか迷っているようだった。ただでさえ、父親はなく、母親……つまり祖父の娘ともあまり良い仲ではないことから家庭の話題はいつからかタブーになっていたので、さらに話題の幅は狭い。夏になると祖父は戦時中のことを話してくれる。とはいえ、そのときの祖父はまだ幼い子供だった。この街で生まれ育った祖父が言うに、ここは疎開してきた子どもたちがたくさんいたらしい。サクマはそうした話を聞けるのはもう少ないと知っていたので、祖父からの淡々と説教じみていない体験談は聞いていて興味深かった。戦時中、戦後は大変だった。だが、今も大変と言ったら大変なんだろうな、と祖父は新聞でも読んだときにはそうこぼす。そう言われると、サクマも少しほっとする。
「今日の町内会にはムロウさんもいてな、孫たちが帰省しておおはしゃぎだったよ」
「ジュースたくさん買ってたものね。……お孫さん、まだ小さい?」
「いや、もう大きいはずだ。ひ孫がそろそろ生まれるだとか」
「へぇ……」
 そりゃ嬉しいんだろうな。サクマは目を見開いて答えた。一方でモモセは「多分知ってるんだよなぁ」と再びムロウという言葉に首をひねる。
「じぃちゃんも、ひ孫は見たい?」
「ん? どうだろうなぁ……とりあえずは孫がどうなるかが気になるからな」
「そう?」
「目に見えないものを見たいっていうより、見えるものがどうなるのか見守っていきたいものだ」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
 祖父はなぜだか楽しそうにうちわを扇ぎ、そう言った。
「二人ともー、スイカを切りましたよー」
 台所から祖母が大きな声で言った。二人は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。あれだけたくさん夕飯を作っておいてか、と祖父はどこか呆れていたが、行くかと重い腰を上げた。
「おじいちゃん、格好いいよね」
 モモセはそうサクマに言った。背はサクマの方が高くなってしまったが、重みのある雰囲気は確かに彼も憧れているところがあるのかもしれない。
「かもね」
 サクマは機嫌がよさそうに呟いた。

 祖父母の家はかつて母が使っていた2階の部屋を掃除して、サクマが泊まりにきた時のためにと用意してくれている。まだ小学生ほどのときには祖父の部屋で眠っていたが、さすがに床にスペースをどうにか作って眠っているのはかわいそうだと祖母が提案してくれたのだ。とはいえ、留守番もできる年でもあるため、泊まりとしてその部屋を利用することは多くはない。部屋には布団と、ローテーブルがある程度だったが、むしろ煩わしいものが何一つないというのはサクマの窒息しそうな息を楽にさせていた。祖父からもらったラジオを持ってきて、彼はそれをつけて布団についた。祖父母とも早寝早起きなのでとっくに眠っただろうと、ふと起き上がってリュックの中に適当に突っ込んだ写真を取り出した。
「その写真ってさ……もしかしてなんだけど」
 モモセが彼の後ろから覗き込む。サクマはベランダに続く窓を開けた。昼間も晴れていたが、夜も星が見える。室内の籠った熱を逃がして、夜風が入ってくる。ラジオの音を下げ、サクマは壁によりかかった。
「案外似てないな」
 サクマは写真の男の顔をまじまじと見つめて言った。
「あなたが笑ったらこんな感じだと思うけどな」
 モモセはそう答える。彼女が思うに、目元は特に似ていて、彼が目尻を下げて笑ったならば写真の男とまったく同じになるだろう。サクマ本人は、自分はこんなに穏やかに笑うふりすらもできないよな、と男の笑みを見てそう思う。
 この手が、俺を遊園地に連れて行ってくれたんだ。つい少し前の廃ビルの屋上でも思い出したが、そのときは懐かしさもなにも得られなかったのに、今となってふと昔のことを思い出したくなった。
「思い出って、あるの?」
「……昔、あそこにあった遊園地に行ったことがある」
「あたしも行ったことあるよ。あたし、あそこのメリーゴーランドが大好きだったの。ママが買い物に行ってる間、待つのが退屈だからって」
 モモセも楽しげにそう言った。サクマも乗ったことがあったのかもしれない。ただ、見たことはある。白い馬がゆらゆらと上下に揺れながらゆっくりと回転していく。その近くには、風船を配っているクマの着ぐるみがあった。
「探しに、行くんだよね」
 静かにモモセは言った。
「……見つけるだけ」
「会わないの?」
「家族がいる」
 サクマはそう言うと、眉を寄せた。口の中がいがいがするような感覚が襲ってきた。
「それって……」
「俺が生まれる前に、別の家族がいたらしい」
 モモセは悲しそうにしていたが、サクマは夜空を見上げてから他人事のように言った。実際、彼には他人事なのかもしれない。自分には父親がいない、ということだけが自分に関係があり、それ以前のことなどはどうでもよくなっていた。
「……どうして、それを」
「昔、じいちゃんと母さんが言い合っているのが聞こえた。それで、なんとなく察した」
 それは幼いころであったが、扉越しに偶然聞こえてしまったのだ。ところどころ知らない言葉も当時はいくつかあったものの、成長していく中でその言葉の意味を理解するようになってから、サクマはわかったのだ。
 母はサクマが腹にいるということを知り、結婚したいと言った。父親になってほしいと。しかし、父親になる人間は、すでに妻子があった。母は悲しんで、実家に帰ってきた。そして祖父母と微妙な軋轢を持ちながらサクマを生み、そして育てている。
 だから、彼は思うのだ。自分がいなければ、母にはまだ幸せになる道があったのではないかと。それを思うたびに、自分を否定しなければならない。そう思えば思うほど、誰かと出かけていく母に対して冷淡な態度をとってしまうのだ。
「不幸な人生だろ、うちの母親」
「合意じゃないの? あなたを生んで、育てたのだって」
「さぁ……」
「やめようよ、こういう話。なんか、つらいよ」
 サクマは自嘲的に喉の奥からくくっと笑った。しかしふと真顔になって、写真をまじまじと眺めてから窓を閉めた。ラジオは軽快な音楽が流れ始めていて、なんだか不釣り合いだなと思いながら彼は布団に寝転んだ。ラジオの声がぼんやりと聞こえ、モモセは彼の近くで耳をすませた。
「さて、曲も終わりまして……はい、深夜1時となりました。今日は天気がよかったですね、星も綺麗に見えます。ここでいつものコーナーです、“普段は言えないこと”、こんな深夜だからこそ言いたいこと、言えちゃうこと、なんでも募集しております。さて本日一通目は、遠山さん、高校生の方ですねー。えー、僕の普段言えないこととは………」

 夢に写真の男が出てきたような気がしていた。それが本当に夢のことだったのか、あるいは自分がそう思い込んでいるのか、サクマ自身もわからなかった。つけっぱなしのラジオは交通渋滞についてアナウンスをしている。コウメが吠えたのが聞こえたので、ベランダの窓から覗き込んでみると、モモセがコウメの前にしゃがんで笑い声をあげていた。サクマはそれを上から頬杖をついて眺めていたが、モモセがこちらに気が付いて大きく手を振った。自然と右手が動いたものの、それをモモセに向かって振ればいいのか戸惑い、彼はそっと窓を閉めた。
 携帯を見てみたが、母から連絡はなかった。もしかしたら、帰っていないのかもしれないなという考えがよぎった。他にも通知が来ていたが、おそらく遊びに行こうという話だろう。サクマは最初から参加していないので、見る意味がなかった。コマキからもあれ以来個別の連絡は来なかった。苦情の1つや2つはあるかも、と思っていたが、苦情も文句もなかった。変だな、と思いながらも、そんなものだろうくらいにサクマは捉え、着替えをすませてから1階へと下りて行った。

続く